年齢など絞り込みでるようになりました。苦しみを乗り越えた人たちの妊娠報告...
最初の1年は近隣の産婦人科でタイミング法(その内半年はクロミッド+注射)。
その後すぐステップアップをして体外受精を2回。
高校生の頃から生理痛がとてもひどく若い頃からこんな自分が子供を産めるのかといつも不安でした。
26歳の時に偶々受診した婦人科検診で卵巣膿腫が発覚し、あまりにも膿腫が大きいため半年注射で生理を止めてから両卵巣腹腔鏡手術をしました。
癒着は手術直後でも取りきれてなかったようです。30代には内膜症による排便痛等も酷くなり低用量ピルを服用していたところ、結婚をし主人も子供が大好きなのですぐ治療を開始しました。
約1年タイミングで様子を見ていましたが子供が出来る気配はなく、かかっていた産婦人科の医師と腹腔鏡オペをした大学病院の医師に相談したところ、妊娠率アップを望んで内膜症の癒着を取るためオペ等をするよりも体外受精にステップアップした方がいいのではと両医師から言われ、偶然にも両医師から同一の新宿にある体外受精で有名な某クリニックを紹介されたので翌月紹介状を持って受診しました。
私達の場合は主人には何の問題もなかったので、人工授精は行いませんでした。
初回時に「あなたの場合、血液検査の結果は問題ないが血圧が高すぎる。このままでは妊娠しても中絶する可能性も出てくるのでまず血圧コントロールを!」と言われ高血圧が発覚。
すぐに循環器内科のある総合医療センターを受診し本態性高血圧症と診断されました。その日から降圧剤を服用しすぐ血圧コントロールが出来たため翌月から体外受精開始です。
1回目は完全自然採卵周期で卵を1個採卵しましたが、変性卵で移植は出来ず。
2回目は生理開始すぐからセロフェンを服用し排卵前日にはスプレキュアを点鼻。採卵は3個出来、1番状態のよい8細胞に分割している卵を新鮮胚移植しましたが陰性。残りの卵のうち1つは分割中止。1つのみ胚盤胞となり凍結。
次の周期は排卵が予想外に早く済んでしまっており移植を見送り。翌月、アシストハッチングをした凍結胚盤胞を移植し陽性となりました。
私がかかったこの病院はすべてのスタッフの対応が統一性があってプロフェッショナルでした。先生方は学会にも出席されていましたし、医療技術は最先端だろうと思います。
内膜症による腹痛がいつもあったので、みんなが言う着床時の足の付け根の違和感等はよく分からずいつものようにお腹が痛かったです。
いつも張らないのですが胸にも変化はありません(5w1dの今でも)つわりもありません。基礎体温は37℃を超えたりはなかったのですが、主人には体が暖かいと言われます。
ストレスが1番良くないと思い、体外受精開始時に仕事はフルタイムから週2回のパートに転職しました。
趣味のホットヨガを毎日楽しみ(体質改善というよりもたくさん汗をかいてストレス解消です)食事制限もほとんどしませんでした。
好きなので毎朝主人と青汁を100%リンゴジュースと水で割ったものは飲んでましが。あと夜に葉酸サプリメントを1粒。
体を温めることにも神経質になり過ぎず、寒いところで靴下を履くぐらいで真夏のファッションを楽しみました。
後、嫌な情報や人付き合いもシャットアウト。半年前に体外受精で出産した親友にのみよく悩みを相談してアドバイスをしてもらっていました。
この辛さは治療を行った人にしか分からないと思います。私は負けず嫌いな性格なので、親身に話を聞いてくれる親や子供のいる妹にでさえも話していて虚しさを感じました。
体外受精を行わないと子供が出来ない自分は欠陥品なんだと思いどうして私ばっかりと思いましたが、みんな年を取れば病気になるしそれがたまたま私には子宮内膜症で不妊で高血圧なんだと思うようにしました。
逆に今の時代に治療していなかったら、医療技術も進んでおらず私は妊娠を経験出来なかったんだと考えて前向きに切り換えていきました。
頑張れば結果はいつか・・・・なんて軽々しいことを言うつもりはありません。ただ治療をしている方々は夫婦間で、高額で時間と労力を費やす大変な問題に向かって2人同じ気持ちで努力出来ている訳でそれはすごいことだと私は思います。病院で見ていても仲のいい夫婦が多いなと思っていました。
もし子宮内内膜症をお持ちの方で体外受精へのステップアップで悩まれている方がおられるようでしたら、私は早めの決断をお勧めします。
卵子の質は思っていた以上に年齢の影響を大きく受けるようです。もし同じような状況で悩まれている方がいて少しでも力になれたらと思い投稿しました。
最後に「2人で貯めてきたお金を子供が宿るために使えたら本望じゃないか。」と言ってくれ治療にも協力的で私の心の支えになってくれている主人には心から感謝しています。
妊娠はゴールではなくてこれからがスタートなので経験していきた思いを忘れることなく頑張っていきたいと思っています。