年齢など絞り込みでるようになりました。苦しみを乗り越えた人たちの妊娠報告...
平成22年5月、不妊専門クリニックで検査→夫婦とも異常なし。
平成22年12月、アンタゴニスト法で誘発後採卵→変性卵しか採れず治療中止。
平成23年1月、マイルド法で誘発。4個採卵。顕微授精。初期新鮮胚移植(培養3日目7cellフラグメント20%)→陰性 (6日目胚盤胞4BC 1個凍結)。
平成23年2月、人工授精→陰性。
平成23年7月、不育症専門クリニック受診→異常なし。
平成23年9月、マイルド法で誘発。4個採卵。顕微授精。初期新鮮胚移植(培養2日目4cellフラグメント30%)→陽性 (6日目胚盤胞3BC SEET法で2個凍結)。
平成21年4月、一卵性双生児自然妊娠→枯死卵で胎芽が確認できず稽留流産→掻爬手術。
平成22年2月22日、12歳年下のダンナさまと結婚。
平成23年5月、自然妊娠→心拍確認後7番トリソミーによる稽留流産→掻爬手術。
結婚は42歳でしたが生理周期も規則的でしたので、基礎体温と排卵検査薬でタイミングをとるも妊娠には至らず。早めに検査だけはと思い、結婚3ヶ月で不妊専門クリニックで一通り受けましたが、やはり夫婦とも異常はなく、私の年齢のために妊娠しにくいという診断となりました。
結婚後8ヶ月ほどで仕事を辞めたのを機に、思い切って顕微授精を試みましたが治療中止となり、期待が大きかっただけに相当なショックでした。1周期調整し、誘発方法を変えて再びチャレンジした結果、新鮮胚移植はできたものの陰性。
翌周期、1回目の結婚記念日に人工授精にステップダウンして陰性。凍結卵はストックして採卵を急ごうと思っていた矢先、東日本大震災・・・。仙台市在住のためライフラインが全てストップし、1ヶ月間ダンナさまと2人、私の実家に避難していました。
幸い私の通っていたクリニックは、震災後もすぐに診察を再開したので、震災4日目に診てもらいましたが、E2の値が若干高いため治療は見送りに。排卵済みを確認した後プラノバールを服用していたところ、思いがけず自然妊娠しました。
しかし、心拍確認までは成長したものの稽留流産となってしまい、2回続けての流産たため名古屋市内の不育症専門クリニックで検査を受けることに。不育症の疑いも晴れ、ようやく避妊期間も明けたため、再び採卵からスタート。
今回ダメだったら残された時間も少ないため、遠距離通院でGIFTやZIFTも検討していたところでした。
特に何もありませんでした。当初は新鮮胚の2段階移植の予定でしたが、5日目に胚盤胞まで育たず2回目の移植がキャンセルになり、移植できたのは1番グレードのよくない胚だったので、今回もダメだろうと諦めていました。
病院の判定日の2日前がダンナさまの誕生日だったので、一応USA製の早期検査薬で調べたところうっすら陽性。
漢方薬・・・低温期に柴苓湯、高温期に八味地黄丸を服用。
鍼灸院でLLT(低出力レーザー)を週1〜2回。
年齢の壁がこれほど厚いとは思いませんでしたが、43歳でも妊娠することができました。出産は44歳になる直前の予定です。結婚したばかりの頃は生理がくるたびに泣いたり落ち込んだりしていましたが、いつも前向きなダンナさまに励まされ、次第に泣くこともなくなりました。
ただ年齢的に残り時間があとわずかという焦りはかなりあり、とにかく今できることを精一杯やろういう一心だったと思います。ストレスや焦りはよくないと思います。3回の妊娠とも、全く期待していなかったので、ストレスフリーなのがよかったのではと考えています。
私は幸い短い治療期間で妊娠することができました。1番辛いのは精神的苦痛だと思います。長い間治療されている方はどれだけ大変か・・・。でも、私の年齢でも諦めなければ赤ちゃんはきてくれました。
こちらをご覧になられている方はほとんどが私よりもお若いと思います。焦らず諦めず、まだまだ希望を持ってほしいです。
7w2dで不妊専門クリニックは卒業となり、次回は出産予定の病院で診察を受け、ようやく待望の母子手帳ももらえるところまでたどり着きました。
羊水検査を予定していますし、まだまだ安心できる段階ではありませんが、今回無事に出産できたら45歳を過ぎてからになるとは思いますが、今度は凍結胚を使ってまたチャレンジするつもりです。
月経の周期26日間(9/26〜10/21)